イベントレポート 2019.12.17
宇和島が「本当に住んで幸せな街」「ローカルヒーローが生まれる街」になるには?《後編》

 

 

宇和島が「本当に住んで幸せな街」「ローカルヒーローが生まれる街」 になるには? 《前編》

 

7月3日に東京の都心、大手町で、宇和島のことを語りあう会を開催しました。

宇和島市の魅力を再発見しながら、地域課題の解決と新たな価値創造への道筋を探っていく対話の場です。冒頭に宇和島市の紹介やうわじまシティブランディング事業の進捗報告を行い、スペシャルなゲストによるご講演とトークセッションを行いました。全4回に分けて、その内容をご紹介させていただきます。

第4回は、「トークセッション」の後編です。宇和島市の岡原文彰市長を交えて、ゲスト講師のLIFULL HOME’S総研所長の島原万丈氏、『ソトコト』編集長 指出一正氏のおふたりと宇和島の未来について考えてました。(モデレーター:株式会社コトヴィア 荻原実紀)

 

荻原:島原さんは宇和島市から離れて長年経っていますが、子どものころに好きだった風景や、宇和島の魅力を、今あえて宇和島を知らない方に伝えるとするならばどんなことでしょうか。

 

島原:そうですね。子どものころってずっとそこが世界だったので、好きとか何とか、あんまり感じなかったけれども、宇和島で過ごした子どものころの記憶で宇和島の風景を思うと、僕は先ほどお話した実家のあたりの港や、港から見える海、そこからすぐの街に城山が見えて、その先には鬼ヶ城が見える・・・。こういう風景が僕の中で宇和島のイメージですね。

 

宇和島百景より

 

今離れてみてもう何十年・・・30年以上かな。なので、記憶もおぼろげですけども、もし誰かにおすすめするとしたら、やっぱり海の方かな。あるいは、滑床渓谷の方かなと。つまり昔は宇和島市じゃなかったところですね(会場笑)。そこのあたりが独特の風景が残っているのではないかなと思いますけどね。

 

荻原:なるほど(笑)。実は島原さんに初めてお会いした時に、「宇和島にお戻りにならないのですか?」って伺った時に、島原さんは「自分の“置き場“がないんだよね」と仰いました。その言葉がすごく印象的で、その「置き場」という言葉と、指出さんの本にもあったような若者たちが求める「居場所」という言葉は、ちょっと近いニュアンスがあるのかなと思っていて。宇和島の出身者の方でも「何らか関わりたいけれども、どういうふうに自分を置けばいいのかわからない」とか、あるいは「自分の子どもの時の記憶では、すごく閉鎖的なイメージがあるから、受け入れてもらえないんじゃないか」という怖さみたいなものがあったりとか、そういうことなんじゃないかなと思うのですが、島原さんいかがでしょうか?

 

島原:置き場?

 

荻原:はい。置き場。

 

島原:あの時の話ってそんなに大げさな話じゃなくて(笑)、単純に、仕事とか遊ぶところも含めて、僕は暮らせないというだけであって・・・。仰るように「閉鎖的」というのは多分あるだろうなと思いますが、僕は18歳で宇和島を出たので、そんなに実害はないんですけどね。実害はないけど、多分そういうことはあるのだろうと思います。

 

荻原:ありがとうございます。ここ最近、宇和島は少しずつ変わりつつあります。岡原市長が就任されて、行政と民間の関係がぐっと近づいたのと、災害を経験して、新たな人と人とのつながりやその大切さを改めて実感した人が多いのもあると思います。個性的で魅力的な人も多いですし、また結構いろんな面白い方が宇和島に来られていますので、島原さんもぜひ関係人口の1人になっていただいて、宇和島にお越しの際には、私も精いっぱいお迎えしたいなと思っています。

 

 

島原:宇和島のブランディングについて話をするならば、今回のうわじまシティブランディングでのアンケートの結果を見ても、「便利なものが欲しい」みたいな声ってすごく多いじゃないですか。「不便だ」とかね。でも、それだったらじゃあ、松山に住めばいいじゃんって話なんですよ。便利なところに住みたかったら、東京に住めばいいじゃんって話ですよ。要するに、宇和島でなければいけないような街づくりをしていかないと、どんどん人口が流出していくばかりだと思う。どんなに頑張っても東京にはなれないし、松山にもなれないわけだから、松山にあるものは松山で調達するのがいいと思うし、それを欲しがっていては駄目かなと思います。

これは、イタリアを例に考えるとすごくわかりやすいです。僕らが子どものころの小学校の社会の時間に、『豊かなイタリア北側の工業地帯と、貧しい南側』っていうふうに書かれて、実際に南イタリアは、しばらくずっと経済的にも人口的にも下落をしていたわけですね。ところが1994年にナポリでサミットがあって、世界中の首脳がやってきた時に「南イタリアいいじゃないか」と、外国人に見つけてもらったのです。それで今、人口1万人ぐらいの街でもかなり素敵な街ですよ。いいレストランはあるし、いいホテルはあるし、それは観光面ですけどね。どんどん資本も入ってきている。

南イタリアの人たちは昔から絶対「ミラノみたいになりたい」とは言わないわけですよ。すごいやせ我慢じゃないんだけど、「ここはここ」っていう感じで、ずっと残っているんですよね。一時期まではかなり衰退の一途ではあったけれども、食べ物も腐りかけが美味しくなるみたいなところあるじゃないですか(笑)。つまり、どこかで良くなるポイントが出てくると思うんですよね。反転していく。そういう感じで、宇和島にしかないものを考えていった方がいいのかなと思います

 

荻原:そうですね。南イタリアは治安もだいぶ良くなったと聞きますし、個性的な美しい村や町がたくさんあります。今、南イタリアの素敵なレストランやホテルのお話がでてきましたが、宇和島は中長期滞在型の場所が残念ながらまだないですよね。あと、例えば土曜夜市とか祭りとかイベントが昔からありますが、それらの多くが子ども向けで、大人が遊べる場所、大人がおしゃれに素敵な時間を過ごす機会もまだまだ足りないように思います。島原さんのお話にあった、ロマンスがあるとか、匿名性とかに関わってくるかもしれないですけど、『夜の経済』とか・・・。

 

島原:ナイトタイムエコノミー』ですね。

 

荻原:そうです。ご著書にも触れられていた『ナイトタイムエコノミー』について詳しくお聞きしたいです。

 

 

新しい都市経済の可能性『ナイトタイムエコノミー』

 

 

島原:これは宇和島などの地方に当てはめる必要があるかどうかは別として、今の一般論としては、都市経済は昼間の物販とか、商業の売り上げが頭打ちになってきます。これは世界中同様です。だって、みんなネットで買い物するようになった。地元の商店街では買いませんよね。

例えばバルセロナでも昼間の経済っていうのは頭打ちで、じゃあ次どうしようかって時には、「夜の経済(ナイトタイムエコノミー)」がやはり注目されます。そうすると、都市というもののインフラを「朝から昼」「イブニング」「ナイト」っていう3分割で考えて、ずっと常に儲けられるような仕組みで経済を発展させていこうとする考え方です

ロンドンもそうだし、アムステルダムもそうだし、バルセロナもそうだし、もちろんニューヨークもそう。でも、それはそれで弊害があるので、なかなか難しいですけども、単なる旅行でやってきた観光客が世界遺産を見て満足というそういう時代ではないので、都市においては夜のアクティビティはすごく今、重視されています。ベルリンはナイトクラブがすごく多いんですが、ベルリンではクラブは文化施設と位置付けられていて、クラブを作るのに、博物館や図書館、美術館を作るように補助金が出ています。それぐらい、夜の経済というのは重視されている。

一方で、僕がさっき言った南イタリアには当然そんなものはないわけで。レストランぐらいしかないですね。別にナイトクラブのようなアクティビティはないけども、綺麗な風景を見て、うまいもの食っていればそれで人間は結構幸せだったりするわけで、観光という観点においての都市としての戦略みたいなものは、宇和島は多分、後者の(南イタリアの)やり方だと思う

でも、住んでいる人たち、今は8万人弱ぐらいですかね。その人たち、特に若い人にとっては、やっぱりナイトタイムエコノミ―的な要素のない街にはなかなか住みたくないというか、楽しくないっていう感覚はすごく強いのではないかなと思いますよね。

 

 

荻原:うわじまシティブランディング事業の『宇和島百景』というプロジェクトでInstagramのアカウントを運営しているんですが、そこに宇和島市出身の方からメッセージがきまして。「城下町バルをやりたいから、相談に乗ってもらえませんか?」と。そういうメッセージがくること自体もすごくうれしかったのですが、きっとその背景には、城下町である雰囲気の良さと、「バル」という宇和島の夜に出かけたくなる要素の掛け合わせがすごく面白いなと思いました。

 

島原:そうですね。コンセプトはわかりやすいですよね。地のものもあって楽しいと思うし。全国で多くの商店街がシャッター街化していて、宇和島も酷いことになってますよね。商店街が活気を取り戻している例を見てみると、もう物販ではなく、飲食なんですよ。名古屋の商店街もそうですけど、飲食店が入ってきて、今まで金物屋だったところも金物なんか売れないからそこにそれこそバルができたり、カフェができたり。そういったお店がちょっとずつ集積していって、知らない間に人が集まって来るっていうような状況になって、どんどん消費も体験型の消費に切り替わっている。その象徴的なのが飲食関係。

センシュアスシティ評価の中にも「街を感じる」というのがありましたけども、そういう気楽な店は、コミュニティの新しい拠点になりやすい。だから、もし城下町バルをやりたいみたいな人がいらっしゃるなら、全力で応援してあげてほしいと思います。

 

荻原:ありがとうございます。やはり「新しい取り組みやその兆しを応援する」という街の「寛容性」が、都市にも田舎にも必要なのではないのかなと思います。

ここで1つ岡原市長に質問ですが、なぜ宇和島市が今シティブランディング事業をしなくてはならないのか、推進したいと思われた理由、そして、推進するために必要であると思われることや課題などございましたらぜひお話いただけたらと思います。

 

岡原:はい。私ももともと民間でずっと仕事をしてきて、営業としてものを売っていくときに、その「あと押し」となる「ブランド」や、「ブランディング」という動きは必要だと感じていました。例えば、私は水産会社で勤めていた経験がありますが、地域の産業として背中を押していただける人が多ければ多いほど営業がやりやすくなる。ただ、宇和島の場合は強みのある産業が多い割に、そういったことを宇和島の外で感じることは少なくて、真珠も日本一なのですが、あまり知られていませんよね。

地域の産業に誇りを感じつつも、情報としては全然整理されてないなというのが民間の時によく感じていた宇和島の課題です。それで、街がどのような方向を目指すべきなのかを考えて、市民の皆さまと共にブランドを作っていこうと思いました。こういったことはもう既にやっとかなきゃいけなかったと市議になった時から話してきましたが、なかなかそうならないということがベースにありました。

 

 

先ほど関係人口の話が出ましたが、いかに宇和島を知っていただき、興味を持っていただき、来ていただき、移住まで・・・は、すぐには難しいかもしれないけど、関係人口から移住につながっていって欲しいというのは、正直な気持ち。これはほんと今、全国1700あるまちの人たちが、よーい、どん!で「わがまちへようこそ」としているので、終わりなき戦いです。その中で宇和島だけを見てもらいたいというのは非現実的ですが、そういった流れの中でどうするかという課題は常にあります。

今日も宇和島市の金瀬教育長に来ていただいていますが、我々はまず地元の子たちに目を向けて、「高校生まちづくり課」を就任早々作らせていただきました。今までのまちづくりって、大人たちの目線で全部やっていたのですね。でもやはり高校生にもなると、18歳なら投票権もありますし、もっと言うと、中学生や小学生、いろんな地域のことを好きな子どもたちが、何を考えているのかというところから、まちづくりに活かしていこうと思って取り組んでいます。この活動は子どもたちの愛郷心にもつながっていくでしょう。

でも、島原さんの言われるとおり、高校生たちからは「松山のように映画館があったらいい」とかそういう意見もどうしても出てきますが、やはりそういう街であるべきかどうかも議論したい。これからのブランディング、街としての目指すところには、従来型の固定されたものの考え方や見方ではなくて、時代にあった新しい価値観を入れていきたい。宇和島のこれからのあり方を考えると同時に、産業をしっかり伝えていき、若者たちの目線も取り入れつつ、目指す目標や掲げるものとしてブランディングを実施していきたいと思っています。

市議時代にも、地方創生で頑張っているたくさんの街に視察に行かせていただきました。そういう街は、本当にいろんなことに目を向けて実践されていました。真似するわけではないですが、良いところは取り入れながらやっていこうと、今出発点に立っています。

島原さんは18歳から宇和島を離れられていて、離れたからこそわかる価値観による様々なご指摘は、強烈でした(笑)。指出さんの本もぜひ拝読して、学ばせていただきたいと思います。そういった新しい価値観を入れながら、この街のあり方を考えていくべきだと思っているところで、今うわじまシティブランディング事業の中で色々な方々のお力を借りて市民の皆さんの声も聴きながら実施している。まさにその道半ばにあります。

 

 

荻原:ありがとうございます。ぜひ関係人口を増やしていけるようなブランディング事業をしていきたいと思います。指出さんの著書にも書かれていましたが、これからは「関係性の時代」であり、「移住はハードルが高く、観光は一過性でしかない」という言葉も印象的でした。指出さんに、関係人口について、受け入れる側の自治体や民間に求められることを、改めてお話いただきたいです。

 

指出:これは、島原万丈さんもよく知っている熱海の例がわかりやすいと思います。熱海に若いひとたちが来る流れを作ったのは市来広一郎さんが代表理事を務めるatamistaというNPOで、「100年後も豊かな暮らしができるまちをつくる」と理念を掲げて、ゲストハウスを作ったり、様々にまちづくりをされています。市来さんのもとや熱海を訪れる若い人たちは、地元の人たちが自分のことをどう思っているか、最初はすごく心配で仕方がなかった。熱海はやっぱり温泉地ですから、基本的には「外から来る人は、温泉に入りにきている人たちしかいないだろう」みたいな見方を地元ではされていて、属性がわからない形で来る人をそこの地域の人はやっぱり不思議や不審に思いますよね。

僕はよく東北の中山間地域に釣りに行くんですけども、地元の人じゃない僕がフライフィッシングの道具やベストを持たないで川沿いをニコニコ1人で歩いていたら、変じゃないですか、確実に。でも、釣り人だってわかれば、「あの人は釣りに来ているんだろう」というのが分かるから安心されるのと同じで、そういう「釣り人」とか「温泉客」だということがわかりづらい人たちが地域に現れだしたのがまさに今なのです。しかも、その人たちが実はその地域のことをすごく思ってくれている人たちで、「この人たちはあの前髪の長い編集長だか何かが言っていたあの何とか関係みたいなやつだな」って(会場笑)、地元の人が思ってくれるとうれしいんですよね。そうすると、みんな地域に行きやすくなる。

 

 

「関係人口」という言葉が生まれて救われた人には、2種類の人たちいます。1つは自分が目的もなく、もしくは観光とか、そこに来る理由の大上段ではない形で来るモヤモヤっとした気持ちと共に来ることが言葉によって言語化されて行きやすくなったって言ってくれる人たち。

もう1つは、実は中年の男性に多いのですが、僕よりももうちょっと上の先輩たちかな。そういう人たちから「関係人口って言葉で救われたよ」っていうメッセージがよく来ます。何かというと、自分の地元を離れて東京で部長や執行役員になって、家もあって、もう地元に帰れない、実は心の優しいおじさんたちがいっぱいいるんですよね。そういう人たちは、「田舎には時々、盆暮れ正月に帰るけど、みんなお袋も親父も足腰ちょっと弱ってきたし、田んぼもどうすんだろうとか、あと街もどんどん落ち込んでるし、自分ができることなんかもうないな」と思っていた。でも、「関係人口としてだったら自分ももう1度地域との関係を結び直せる。だからこの言葉に救われました。今、自分は新潟の消防団に入りました。東京にいるけど」っていうそんなメッセージをもらったりするのですね。それでいいじゃないですか、一先ずは。

もしかしたら、その先はもうちょっと考えないといけないかもしれないけど、関係人口って言葉が、実は「地域に入る」もしくは「地域に戻る」ハードルをすごく下げたので、そうするとその言葉を知っている人たちを、今度は受け入れる側で増やしていくことが大事だと思うのです。例えば、今僕がやってることの多くは、島根の西部をはじめとした魅力的な地域に行って、「『関係人口』とは何かを話してほしい」と頼まれる、地域のみなさんの前で話すということです。受け入れ側の人たちに、「こういう人たち(関係人口)がだんだん現れてくるよ」ということを広く広く知ってもらうと、地域へ行く側の人たちも突っかかりがなくなって行きやすいので、それは大事かもしれませんね。

 

荻原:ありがとうございます。こうして今日ご参加いただいている皆さまの中にも、宇和島の関係人口になりたいと改めて思われた方がいらっしゃるでしょう。私も、地元が複数あっても良いと思っています。一方で、やはり外の意見や評価も受け入れて、オープンにしていくことは、宇和島にとっても非常に大事だなと思います。実は宇和島は歴史的に見ても、非常にコンパクトな街にもかかわらず、偉人や文化人を多く輩出しています。それは、やはりもちろん自然の恵みであったり、海の幸、山の幸に囲まれて育った人々の感性と、外からの意見や、外からのプロフェッショナルをうまく取り入れて来た、そういう歴史が土壌にあるのではないかなと感じています。そういった宇和島のDNAを活かしながらブランディングに反映していきたいなと思います。

では、最後に皆さまに一言ずつお願いできましたらと思います。島原さんよろしくお願いします。

 

島原:そんなに僕個人は思い入れがないので、住んでいる皆さんがまず幸せになれればいいかなと思います。その中で友だちとかに「ちょっと宇和島行きたいんだよね」って聞かれた時に、「じゃあ、あの辺に行ってきたらこういう感じで楽しいんじゃない」と言えるような特徴が、ブランディングではっきり出てくるといいかなと思っていますね。

 

荻原:宇和島愛を背景に感じるお言葉をありがとうございます。指出さん、よろしくお願いします。

 

 

指出:今日、山形県の酒田にいましたが、酒田に日本最北端のグランドキャバレーっていうのがあります。「白ばら」っていう。ぜひ(島原)万丈さんと一緒に行きたいなと思っていますが(笑)、昭和33年にできた場所で、地元の人たち、特に若い人が大事にしようと思って頑張って支えているんです。今、大変にやばいのは、実は昭和の建物です。

僕たちは、明治、大正の建物は大事にしがちなんですけども、世代はだいぶ令和になって変わってきているので、昭和の宇和島のかっこいい建物とかは、「関係案内所」になるチャンスがすごくある。万丈さんが言っている「ナイトタイムエコノミー」も、実はそういう艶っぽい時間がちゃんと残っている場所から生まれたりする。岡原市長にもぜひご留意いただきたいんですけど、そういったものもつぶさに観察していただくと、後でもったいなかったみたいなことにならないです。それは宇和島にはあるでしょうから、そういう場所を大事にされると、人が新しく入って来る流れを作りやすいのかなと思います。

 

荻原:新しいものを取り入れるだけではなくて、歴史あるものや良いものを後世に新しい価値で残すことをつぶさに選んでいくことも大事ですね。ありがとうございます。最後に、岡原市長よろしくお願いします。

 

岡原:ほんとに東京のど真ん中で、あっという間にこの時間過ぎました。ぜひとも宇和島出身の島原さんと、また四万十の方にもご縁がある指出さんとの会の第二弾を宇和島でやってみたいですね。島原さんがあまり思い入れがないということを連呼されていますが(笑)、ぜひとも宇和島にもお帰りいただいて、本日お越しの皆さまにも「関係人口」として宇和島に来ていただいたらと思います。

 

 

岡原:宇和島市は、災害から1年経ちました。この間、本当に多くの方々からお力を得て、今一歩ずつ復興の道のりを辿ってるところです。そうした方々に今、われわれができる唯一のお返しというものは、「いいニュースをお届けし続けていく」ことだと感じています。今日ご列席の皆さんももちろんですけれども、我々も頑張っていきますので、引き続き宇和島市をどうぞよろしくおねがいします。本日は誠にありがとうございました。

 


 

 

 

島原 万丈(しまはら まんじょう)

株式会社LIFULL HOME’S総研 所長

 

1989年株式会社リクルート入社。グループ内外のクライアントのマーケティングリサーチおよびマーケティング戦略策定に携わる。2005年よりリクルート住宅総研へ移り、ユーザー目線での住宅市場の調査研究と提言活動に従事。2013年3月リクルートを退社、同年7月株式会社LIFULL(旧株式会社ネクスト)でLIFULL HOME’S総研所長に就任し、2014年『STOCK & RENOVATION 2014』、2015年『Sensuous City [官能都市] 』、2017年『寛容社会 多文化共生のための〈住〉ができること』、2018年『住宅幸福論Episode1 住まいの幸福を疑え』、2019年『住宅幸福論Episode2 幸福の国の住まい方』を発表。主な著書に『本当に住んで幸せな街 全国官能都市ランキング』(光文社新書)がある。

Sensuous City[官能都市]

―身体で経験する都市;センシュアス・シティ・ランキング

 

 

 

指出 一正(さしで かずまさ)

月刊『ソトコト』編集長

 

1969年群馬県生まれ。上智大学法学部国際関係法学科卒業。雑誌『Outdoor』編集部、『Rod and Reel』編集長を経て、現職。島根県「しまコトアカデミー」メイン講師、奈良県「奥大和アカデミー」メイン講師、奈良県下北山村「奈良・下北山 むらコトアカデミー」メイン講師、福井県大野市「越前おおの みずコトアカデミー」メイン講師、和歌山県田辺市「たなコトアカデミー」メイン講師、高知県・津野町「地域の編集学校 四万十川源流点校」メイン講師、岡山県真庭市政策アドバイザーをはじめ、地域のプロジェクトに多く携わる。内閣官房まち・ひと・しごと創生本部「わくわく地方生活実現会議」委員。内閣官房「水循環の推進に関する有識者会議」委員。環境省「SDGs人材育成研修事業検討委員会」委員。内閣官房まち・ひと・しごと創生本部「人材組織の育成・関係人口に関する検討会」委員。著書に『ぼくらは地方で幸せを見つける』(ポプラ新書)。趣味はフライフィッシング。

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